【書評】幸せになる勇気

shiawase 書評

今回は「幸せになる勇気」を読んだのでその書評を書いていきたいと思います!

超ベストセラーである「嫌われる勇気」の続編です。

アドラー心理学がこれらの本で一気に有名になりました。

興味があるけど本は読んだことない、一度読んだけど他の人がどんな感想を持っているか聞いてみたい!という方には参考になると思いますのでぜひ最後まで読んでみてください。

本の構成

taiwa

「幸せになる勇気」は前作同様哲人と青年の対話形式で話が進んでいきます。

前作から3年後、哲人との対話を経た青年がアドラー心理学と出会い、教職に就きアドラー心理学を教育の場で実践しようと志したものの限界を感じ、哲人にアドラー心理学は机上の空論であり、実践には全く役に立たないと怒鳴り込み最終的には論破を試みるという構成です。

冷静に考えればただのクレーマーです笑

正直どうでもいいと言えばどうでもいいのですが無理矢理感が否めません。

本の中でも青年はかなり過激な言葉で哲人に食って掛かります。

人間としての礼儀を疑うほどで、具体的には本を読んでいただきたいと思いますが、人と話す態度ではありません。

話の大筋はアドラー心理学を実践してみたものの生徒たちと上手く関係を築くことが出来ず、問題行動は起こすは先生を舐めるはで限界を感じて八つ当たりしてきた青年を哲人が諭していくような話です。

最終的に青年は晴れやかな気分になるのですが、個人的にはあんまり納得できませんでした笑

本の中の話は読者が読んで得る内容とはあんまり関係がなく、内容自体は非常に興味深いものなので安心してください。

個人的に受け取ったメッセージ

私が個人的に受け取ったメッセージは「他者を愛し、自立し、共同体感覚を得ることで幸せになれる」というものです!

少しずつ解説していきたいと思います。

幸せとは何か

shiawase

アドラー心理学では幸せとは「貢献感」である、とされています。

貢献感とはもっとかみ砕いていうと、人の役に立っている、自分はここにいていいんだという感情です。

例えばチームで何かを成し遂げたとき、自分が貢献できたと感じていなければ満足度は低いと思いますし、学校のクラスで自分の居場所がないと感じると居心地が悪かったりすると思います。

個人的には確かにそうだとは思いますが、それが幸せと直結するかと言われると完全には納得できていません。

私がどんな時に幸せを感じるかと問われると、思い浮かぶシーンとしては美味しいものを食べたとき、性的な快感を得たとき、何か成果を出したとき、趣味に没頭したとき等です。

果たしてこれらに貢献感があるかと言われるとほとんどありません。

しいて言えば何か成果を出した時はチームで何かを成し遂げたときは貢献感を感じるかもしれません。

でもその程度です。

勝手に想像するに上記で上げた幸せは刹那的なもであって人生という観点から見れば幸せとは呼べないのだと思います。

生きていく中での幸せというのは他者との関係の中で大なり小なりの共同体があり、そこに貢献して所属していることである、ということなのだと思います。

その状態が出来てこそ幸せな時間、人生と言えるのだと思います。

そういった意味では貢献感が幸せであるというのは納得感があります。

自立すること

jiritu

本を読んでいて私は自立できてないなと感じました。

自立することとは自分をあるがままに受け入れて、自分には能力があると感じ、自分を自分で評価できる状態であると理解しました。

とても難しいです。

私は自分の評価を客観的な指標に頼る傾向があります。

例えば、テストの点数や肩書、順位等です。

自分が良いと思ったものでも他人の同意を得て初めて本当に良いのだと感じます。

こういった傾向があるため、到底自立しているとは言えません。

ただ、注意してほしいのがこれらは全て主観的であるということです。

客観的な能力は関係なく「自分が」そう思えるかどうかだけが問題です。

世間一般の自立とは異なっていると感じます。

世間一般の自立は経済的な自立です。

部分的には親離れ、子離れできないといったこともあると思いますが、自立している、と言われれば働いて収入を得て自分で生活ができるということを指していると思います。

アドラー心理学の自立は精神的で主観的です。

極端な話子供や仕事をしていない大人でも自立は出来ます。

個人的にはかなり難題だと思っています。

愛すること

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本書では愛することは決意すること約束することとあります。

一般的に愛することはどういうことかとは言えないと思います。

ここで愛が出てくるのは愛を受け取る立場から与える立場になる必要があると説くためです。

人間は生まれた瞬間は自分一人で生きていくことが出来ず、生きていくために誰かに愛されなくてはいけません。

つまりある程度の年齢までは自分が中心で誰かに愛してもらうしかないわけです。

しかしそのままでは幸せに必要な自立が出来ません。

そこでいつまでも愛を受け取るだけではなく誰かを愛する必要があるということです。

誰かを愛することで自己中心性を脱し、自立することが出来ます。

本の流れにのっとりましたが、個人的には上記の自立と一致していると納得が出来ないなと感じています。

確かに世界の中心が自分から自分たちになることで自己中心性を脱却することは出来ると思います。

ただ、それがすぐに自分を受け入れることや自分に能力があると認めることには直接的には繋がらないと思います。

あくまでも自分の中で自立することと他者とのかかわりの中で自立することという意味であって段階が違うかなと思っています。

個人的には個人的な自立→愛→他者間での自立→共同体感覚なのではないかと考えています。

ちょっと話が逸れましたが本の主張としては愛するとはこの人と一緒に生きていくと決めることです。

極論、相手がどうとかは関係なく、自分の中で決めて、それを実践していくことです。

こういったプロセスを経て自立が促されます。

共同体感覚を得るとは

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愛の延長線上にあるとするならば、一人の世界から二人の世界に拡張し、より複数の世界に拡張していくことが共同体感覚であろうと思います。

正確には共同体感覚は降って湧いてくるものではなく人間に内在していて、それを掘り起こすのだと言います。

人間は一人では生きられないので元々共同体感覚は持っているのです。

正直個人的には一般的な愛の形ではなくても二人の世界に広げていけると思います。

例えば親友の存在です。

私は個人的にこの人にだったら騙されても裏切られてもいいかなと思って接している友人が何人かいます。

本の中では無条件に信じることを信頼、条件付きで信じることを信用と定義していますが、これは信頼に当たるものだと思います。

いうまでもなく愛は最上の信頼の形です。

例えば仕事上の利害関係がある人間関係は信用です。

この利害関係が無くなれば崩れてしまうのが信用ですね。

なので異性とか結婚がどうとか愛がどうとかの前に人としてこの人は信頼に値すると思えることが愛だと言い換えてもいいのではないかなと思います。

ここは本に書いてあることを超えて個人の解釈なので注意してください。

まずは出来ることから、目の前のことから世界を一人から二人に広げていって、ついにはある集団の共同体感覚を得ることが出来るのでしょう。

まとめ

個人的にはかなり理解が難しい本でした。

「他者を愛し、自立し、共同体感覚を得ることで幸せになれる」 というメッセージに尽きるのですが、実行するにあたって具体的にどうするのかは本の中でも例が出ていますので、気になる方はぜひ本書を手に取って読んでみてください!

内容はかなり厳しいですが、痛いところを突かれて自分を見つめなおす良い機会になると思います。

自分に欠けていると思うことは自分を受け入れることと自分で自分を評価する部分と愛する相手への行動だと思っているので少しずつ実践していきたいと思います。

もう一つ、自分も親なので子供の自立を促せるような接し方を本当に心掛けていきたいと思います!


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